高寺徹 公式ブログ

おまえもやれる!普通にやれるよ!

高寺徹自己紹介

身内の葬式でのマナーが、どうやら俺はなってないようだ。

別に悲しくもないのに、悲しい顔をしないとダメ。

 

それに違和感を感じつつ、

 

「早く帰りたい」

 

それが正直な俺の心やったよな。

 

 

 

うす。高寺です。

最近、身内に不幸があったんよな。

 

 

その時に開くのが、葬式。

大勢の人が手を合わせにきたよ。

 

 

「人は死ぬ」

そんなことは当たり前に誰もが知ってる。

 

 

だから、俺はまったく悲しいという感情は湧かんかった。

 

 

(もちろん、俺がいるのはその故人のおかげやから、その意味ではものすごく感謝はしてるけども)

 

 

こういうことを言うと、

「ヒトデナシ」なんて、言われるんやろな。

 

 

けど、当たり前に死ぬことはわかってるわけで、

それを悲しんでも仕方がないし、傷心しても仕方がない。

 

 

俺たちがすべきなのは、

 

・とにかく前進して、自己成長すること

・一度しかない人生を思いっきり楽しむこと

 

や。

 

 

それに、ずっと他人のことを考えてる人はおらへんで。

 

 

時間が経てば、みんな忘れよる。

大半は、自分の身の安全・健康・毎日の生活にしか興味がないからな。

 

 

例えば、

 

未だに、東日本大震災への募金の呼びかけを熱心にしてる人は見ないし、

「電力がない」とか言って、節電してたのも考えてみれば、ほんの一瞬の出来事。

 

あの時の日本人は、どこか申し訳なさげに、追悼の念を送っていたが・・

 

 

 

そういえば、偉人の孔子が言うてるよな。

 

 

「己の欲せざる所は、他人に施すなかれ」

 

 

と。

 

 

要は、

 

「自分がして欲しいことは他人にもしてやれ」

「自分がされてうれしくないことは、他人にもするな」

 

ってことやな。

 

 

 

けど、この言葉はウソ

大半の人間が騙されてるんよな。

 

 

 

実際、俺は自分が死んだ時に、葬式なんてやって欲しくない。

 

 

「死人は皆で弔ってあげよう。」

 

 

なんて、大きなお世話や(苦笑)

 

 

俺が死んで残されたヤツらは、他にやるべきことがあって忙しいのに、

悲しい顔して、手を合わせないといけない。

 

 

考えるだけで、迷惑な話。

 

 

 

時が経てば、

俺の古くからの友人なんて

 

 

「高寺?」

「あぁーそんなヤツおったなー」

って程度。

 

 

(まー、おまえは俺という神様のような存在を失って、そうとう悲しいやろうけどな。

まー、その時は、一人で頑張れや。)

 

 

 

けど、

「身近な人が死んだら、ふつう、葬式は行くでしょ。義理的に。」

ってのが、どうも一般的らしい。

 

 

 

つまり、こと「葬式」については、

 

自分がしてもらいたいくないことでも、相手にはしてやらないとアカン。

 

わけ。

 

 

 

「身近な人が死んだら、葬式に行く」

 

 

そういう人は、周囲からは道徳的かつ義理堅い人間とされる。

結果、信用も勝ち取れる。

 

 

ぶっちゃけて言うと、葬式なんぞは、

故人の死を悼むというよりかは、

 

 

「俺は、ちゃんと顔を出してますよ」

 

 

というように、信用を勝ち取るため、周囲との人間関係を円滑に進めるために行くものや。

 

 

つまり、

 

道徳」なんちゅーもんは、絶対的に守らないとあかん生き方の指針ってわけじゃなく、

必要以上に敵をつくらへんようにするために使う「人たらし術」に過ぎひん。

 

 

道徳なんて、時代が変われば変わるあいまいなものやからな。

 

 

例えば、昔は主君や国のために死ぬことは立派とされたけど、今は違うやろ?

 

 

騙されるなよ。

 

 

ほな、またな。

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